誰にでもコンプレックスの1つや2つは抱えているかと思います。
コンプレックスは逆手に取れば長所にも変換できます。
例えば暑苦しい人を良い風に見ると情熱的な人。
でも障がいは出来る部分とそうでないところが存在してしまうのが現状です。
障がいが重複している人はどれが一番かは人それぞれ。
重度な為に選び難いところですが一番の悩みは言語障がいかと思います。
やはりコミュニケーションツールとして私に残された唯一の機能なので一人暮らしするうえでも重要な点です。
介助者に指示を出すうえで一文字間違ってしまうだけでも意味合いが変わってしまうものです。
例えば接続詞「お茶を取ってきてください」
これが「お茶も持ってきてください」
「を」ですとお茶を持ってくるだけですが「も」に一文字変わるだけで、ほかの物も頼む可能性が出てきますよね。
言語障がいがあると低くくぐもった声で聞き取りが大変です。
はじめのうちは単語単語で聞こえるのが関の山。
ですが最初に例文をあげたようにやはり一文字でも違うと誤解やミスなどが発生してきます。
行動に移る前に複唱するのがベターです。
言語障がい者は話すということがスローペース。
これも人により個人差が生じます。
脳内では言葉たちが次々と溢れ出しているのに、すぐには声として発することが不可能です。
それは口の周囲の筋肉や話すときに舌の筋肉が通常の人よりも衰えているためです。
一呼吸おいて気長に話を聞いて下さるととても有難いです。
会話「言葉のキャッチボール」をする際はあまり早口でまくしたてられ一方的に話されてしまうと困ってしまいます。
なぜならその答えを返すには数秒から数十秒の時間が要するからです。
これで意見や反論したい時があっても伝えられず、誤解を生じる事もしばしば。
そのことにより過去の事でもレッテルを張られ未だに悩んでいることもあるようなないような…。
だからと言って幼児や高齢者向けの口調にしなくても大丈夫です。
その対象者の歳層に合わせた口調で構わないかとおもいます。
言語障がい者が大きな声で話をしたときは必ずしも怒っているとは限りません。
早く伝えようとするあまり、力んでしまいます。
おまけに呼吸をするのが浅いためにすぐに言葉に表すと喉を締め付け絞り出すようにしか発声できない為大きな声となってしまうのです。
興奮状態に思われがちですが、そうでないときもあり得ますのでご了承ください…。
本当に言語障がい者が怒りをおぼえたときはむしろ即言葉として表現できません。
顔色が変わって言葉を飲み込みその場はやり過ごすことでしょう。
定期的に消化不良を起こしてしまうのが難点(汗)
そのためにも今回のような問題を取り上げてみました。
誰にだってウィークポイントはあるはずです。
私のように目や耳で判断できるものから日常生活を普通に暮らし過ごしている人々も。
もしかして本当に悩み苦しんでいる人は目や耳で判断できる人たちよりも見えない部分で社会に立たされ生活している人たちかもわかりません。
どの環境で過ごしているかだけでは計り知れない。
自分だけのものさしを作らず、一人でも多くの人がもっと広い視野で世の中を心眼で見ていける社会になれば嬉しいです。
キヨヲコさん
たしかに、人は言葉のキャッチボーでコミュニケーションしていると感じました。
良好なキャッチボールをするためには、お互いが相手がキャッチしやすいよう、投げるタイミング、強弱や速さを模索する気持ちが不可欠だと思うのです。
日常自身を省みると、気の向くままにボールを投げ散らかしており、数多くの反省すべき点が浮かんできます。
この数年、世界中で「〇〇ファースト」なる単語を耳にする機会が増えた印象を受けます。
一見もっともらしく聞こえますが、各々が自分、家族、仲間、地域や国のことを最優先に考えるのは至極当然のこと。自分達の幸福を追求するためには、他を排除して構わないという思想に繋がらぬよう、自身を戒める意味でも、心掛けたいと思います。
セナさん
ある意味このブログはボールを投げっぱなし状態では?
と考えてみたりもします(反省)
でもセナさんのようにボールを受け取り確実に返してくださる方がいるので私も続けられているのであります。
突き詰めるところ答えは(思いやり)の言葉一つで解決してしまうように思います。