「でも」「けど」「だって」
これらの言葉はどれも否定形ですよね。
どんなに良い話をした後でもこれらが付くと全て打ち消されてしまいます。
自己責任で一人暮らしをしている在宅障がい者にとってみれば、全てが自己責任ですので何を言われても仕方ありません。
ですが最初から「私は〇〇が出来ません。好きではありません。」
などと公言されては頼みたい事も頼みずらくなるのが現状です。
ハンデを持っての一人暮らしをし困ったこと。
ベスト3
★第1位★言語障害があり言葉が通じない
これは時間とともに解決してきました。
耳が慣れてくれて、私の行動パターンや、癖などは時間が経つにつれて慣れてくれるのでどうにかなってゆきました。
★第2位★料理
得意不得意があるとは思いますが、さじ加減が一番難しいです。
レシピ通りに作るものならよいのですが、冷蔵庫のありあわせを活用するとなると一番大変です。
分量も「成人女性の1人分くらいってこれくらいかなぁ?」
聞いてみると返ってきた言葉は
「人によって食べる量が違いますからねぇ」
確かにごもっとも。
ですが介助のお仕事とは、相手の足りない部分を補って代わりに目となり手となり足となりと思うのは間違っていることでしょうか?
★第3位★買い物時の情報提供
ごくまれに聞くのを忘れ血合いまみれの魚を購入したことも…
これはうっかりミスですね。
料理が苦手な人ならば口を酸っぱくしてでも覚えるまでは伝えなければなりませんね。
衣類に関しては色や形を質問します。
「わかりません。」
撃沈…
とならぬようにお願いしたいものです。
私なりのベストアンサーは
「私にはわかりませんので色や全体図を言葉にするので、一緒に考えましょう。」
が、気持ち良く買い物を進められます。
これを書きながらも『私自身は出来ているのか?』と反省し振り返りながら書いています。
誰だっていつも前向きでいられるとは限りません。
私自身もそうです。
人間関係を円滑に進めるには言葉のチョイスを慎重にせねばなりませんね。
とくに聴覚でしか情報を得られない人の前では、当事者である私自身も身を引き締めていかねばなりません。
キヨヲコさん
省みると果たして自身ができているのだろかと不安になり、否ちっともできていないと自己嫌悪に陥ります。
そんな自分でも微力ながらも心掛けていること。少なくとも自身が受けて嫌な思いを抱いたり、不快に感じる言動は他人へすべきではないだろうということ。換言すれば相手への想像力をどれだけ膨らませられるかということだと思います。
最近巷では「忖度」なる言葉がマイナスイメージで取り沙汰されますが(笑)、本来の意味の相手を思いやり、寄り添う気持ちは人間関係において最も大切なことです。
自身の考えをしっかりと持ち、はっきりと意思表示をすること自体は素晴らしと思うし大変結構なこと。けれどそれが結果として自身のアイデンティティの押し付けになってしまっては勿体無いと思うのです。
偉そうなことを綴りましたが、まだまだ自身も未熟者です。自分への戒めとして肝に命じ精進したいと改めて思います。
セナさん
「寄り添う」とてもいい言葉ですよね。
私たち障がい者は、誰かの力を借りなければ生きていけないのが現状。
私は人の顔色を伺う事ができませんので、こうして時々ブログにて戒めとして世間様に訴えています。
毎度セナ先生のご説法は無知な私にでも、とても分かりやすいです(笑)