vol-56 私が考えるファッションと障がいの理想像とは~ファッション編~

「ファッションをモットーに掲げながら、最近ファッションネタ少なくなーい?」

おまけに写真も出てないし。

と、お思いの方も多いかと思います。

そうなんです。

私引きこもり真っ最中でして、原因はといいますと「風邪」をひいてしまいました。

今年こそは入院は避けたいものでして、早めの治療で自宅にて引きこもり療養中です。

今年の風邪は、喉風邪が多いらしく長引くそうです。

て、これでは「病気通信」ではございませんか(汗)

何はともあれ皆様、手洗いうがいを忘れずに♡

 

 

話は本題に入りまして、今年は国立リハビリステーション病院(以下国リハ)にて障がい者の為のファッションショー情報が入ってこないなぁ?

と思いましたら、規模を大きく「東京ガールズコレクション(以下TGC)」で大々的に障がい者用のドレスやら福祉器具と一体化した少し奇抜な衣類が、大きなステージにて日本のトップモデルと肩を並べてランウェイを闊歩していたとか。

TGCとは日本ファッションイベント。若年女性向けの既製服を対象とした服飾製品の販売会と、それに付随するファッションショー、およびライブを開催。

福祉衣類も、いよいよTGCに進出かと思いきや私には少し腑に落ちない点も…。

フォーマルな衣装(冠婚葬祭)に着ていけるようなものはともかく、普段着使いの物は「これは障がい者用の衣類です。」

と明らかに健常者と一線を引かれるのは障がいを持つ当事者的には、あまり気持ち良いものではありませんでした。

「TGCに参加しているあのブランドの洋服が着たい!」

と思っている障がい者の方も多かったのでは!?

 

ファッションのトレンドというものは繰り返すものでして、毎年「今年は○○年代の物が流行します。」

という具合に時代は繰り返されるものですね。

それ+アレンジがくわえてあったり…。

 

 

私が求める理想的なファッションとは「世界的に有名な△△というブランドの□□というデザイナーが今季打ち出したテーマは体型、体格、身体の作り、どなたでも対応できるような××年代風スタイルです。」

といったものです。

 

身体にハンデがあるからここのブランドの服は着づらい。

たとえばタイトなデザインすぎてサイズ的にはちょうど良いが、袖を通すまでに時間がかかるetc…。

というのが現状。

なかなかうまくいかないものですね。

 

 

ファッションは一部の人の物ではない。

産まれたてのあかちゃんからお年を召した方、そして私達障がい者。

ボーダーラインを引かずに、もっと自由に選べたらと思います。

 

 

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カテゴリー: fashion
vol-56 私が考えるファッションと障がいの理想像とは~ファッション編~” への1件のコメント
  1. あべ より:

    確かに、ファッションにボーダーラインなんてないですよね!(^^)

    みんなが着れるどこどこのブランド服とか良いですね!

    最近アクセサリーを買おうと川越までくり出した時に思った事がありまして、簡単につけれて可愛いのなんて探してみたものの3件4件はしごして…。選べる物の選択肢が凄く狭まるんですよね(^^;アクセサリーから結局ヘアピンになっちゃいました

    ファッションって自由な物な気がしますが、選択肢が少なくなるっていうんでしょうか?違和感を感じますね~。今後のアパレル業界に期待したいですね(*^^*)

    • orihime より:

      あべさん
      あべさんの言う通りファッションは自由であり、自己表現の1つだと私は思います。
      日常の会話と同じように・・・。
      それが選べず断念することは、私にしてみれば大袈裟かもしれませんが会話できないのと同じようなものです。

  2. Senna より:

    キヨヲコさん
    なるほど。気に入ったのが結果として障がい者でも脱ぎ着しやすいものならよいのですが、、、むしろ限定的、閉鎖的な方向に進む可能性を秘めているということですね。先日以前から気になっていた某ブランドのジーンズを購入したのですが、これがジッパーではなくボタンで留める仕様なため、手先が不自由な身としては四苦八苦しています(苦笑)。だからといって、ならば障がい者用にデザインされた中から選べばよいではないか、と何人たりからも指図される筋合いはないはずだし、キヨヲコさんがいうとおり、そもそもファションは老若男女、障がいがある人でも皆が自由に愉しめるべきものだと自分も考えます。ここでのポイントは、おそらく携わる人達はいかにして障がいを抱える人達でもお洒落を楽しんでもらえるかを真剣に考えた上でのもの、いわば善意が基になっていることです。当ブログ前号でキヨヲコさんが電車へ乗車の際、周囲へ空いている席があれば、自分へ遠慮せず座ってください、と告げると書かれていました。まずはキヨヲコさんの勇気ある行動へ称賛の拍手を送りたいと感じました。ともすれば私達は声をかけられる機会は数多くありますが、声をかける、僕自身へ言い聞かせることを含め、ことは希少に感じます。施設や事業所内、また家族や介助者との範ちゅうから一歩踏み出せば、社会と自分との関わりになるわけで、障がい者も社会の一員として果たす役目を担うことで、世の中の相互の助け合いの輪の中に入れると思うのです。おそらくキヨヲコさんの一言で、外見は健常な身体に映っても、お年寄りや長時間立っているのが困難な人達も乗車していたと思います。その人達からすれば、さぞありがたく感じたのではないでしょうか。同時にこれは、社会が障がい者に対する意識、ここでは障がいを持つ人へは席を譲らなくてはならないという意識、と障がい当事者が抱える意識の隔たりを埋める大切なことだとも感じました。これは先述のファションのことと根っこは同じように思います。世間における私達障がいを持つ者への意識が高まったことで、昔と比べだいぶ暮らしやすい社会へと変貌を遂げつつあると感じます。大いに喜ばしくありがたいとこではありますが、今後は健常者と障がい者が、それぞれの意識のギャップを認め合うことで、さらによいアイデアや方策が見出せるのではないか、そのような段階に差し掛かっているのではないかと思います。長々と失礼しました。

    • orihime より:

      Sennaさん
      言葉のボキャブラリーの多さには毎回圧巻するしだいでございます。
      障がい者と健常者。
      どこまで考えを寄り添い、良い距離を保てるか?
      本当、前号の続きの様なものでしたね。
      何事も深いとこまで考えを煮詰めていくと同じ所にたどり着いてしまうものですね。
      ご指摘いただき改めて考えさせられました。

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