私のような全盲で手足も自由にならない人間は、人の手を借りなければ生きてゆく事が出来ません。
言語障がいもある事ですし介助に入ってくださる方とはコミュニケーションならびに信頼関係が必要となってきます。
まずは相手に自分がどういう障がいでできる事は何か、出来ないことは何かをこと細かく説明し、理解してもらう事が大切です。
私の場合ですが、自分が逆の立場を想定してみます。介助者に何か改善を求める場合、必ず最後にフォローを入れるように心がげております。
同じ言葉を伝えたとします。
最初に褒められダメだしされるのと、最初にダメだしされフォローを入れられたのでは、どちらが胸に響くでしょうか?
言葉というものは不思議なもので長文を話すときは、後半の部分の方が心にとどまるそうです。
言葉の言い回し1つで相手に対し良くも悪くも伝わるということですね。
最近の事ですが、仕事場で会議中に介護スタッフの一人がこう発言していました。
「ありがとう1つでモチベーションが全然変わってくるのですよね。」
やはり皆考えていることは同じだなと。
その反面近頃私の中にこのような疑問も生まれてきています。
「ありがとう。」の使い過ぎで、言葉の意味ありがたみが薄れてくるのでは?
いわば、感謝の言葉のたたき売り状態。
介護する側の貴重な一言でしたが、果たして全員が全員真っ直ぐにそう受け止めているだろうか?
やはりそこの部分は十人十色。
介護に入ってくださっているヘルパーの性格を一人一人見極め、自分なりのさじ加減で良いところを探していくしかないようですね。
障がいを持つと、日々「ありがとう。」と発する場面が多く出くわしてきます。私は「ありがとう。」と言われる様な人間に成長してゆきたいと思います。
キヨヲコさん
そうですね。いかにヘルパーと折り合いつつこちらの要望を満たせるか、自分もこのバランスをどう保つかにいつも頭を悩まされます。制度上では対等の立場だとはいえ、どうしたって私達は「〇〇をしてもらう、△△をやってもらう」と受け身の立場となるため、自分も含め、介助者に対し恐縮の念を抱いたことがある当事者は少なくないのではないでしょうか。
僕は独自の持論「感謝はしても遠慮はするな。」を精神的主柱に生きています。行きたい場所があれば取り敢えず挑戦してみる、成功すればラッキー、駄目でも何かしらの打開策のヒントが得られるはずで、決して無駄に終わることはないと思っています。大切なのはやることだと信じています。
大丈夫。既にキヨヲコさんは多くの人から敬われ感謝されている存在だと思います。ヘルパーとの関わりを通じ、社会と誠実に向かい合おうとする人が感謝の気持ちを叩き売ることはしないはず。例えば選挙の時だけ謙虚で、いざ当選を果たせば議場で踏ん反り返り野次を飛ばしたり居眠りする人達にキヨヲコさんの爪の垢でも飲ましてやりたいです(笑)。長々と失礼しました。
Sennaさん
Sennaさんの持論、素晴らしいですね。
出来ない事に当たり前と思えば何を挑戦するにも気が楽になりますものね!
確かに人それぞれかもしれませんね!
あと自分は、人と人との関係と言う心の部分を
大切にして行きたいと思っています。
そこに正しい答えはなくても相手の気持ちに立ってみる、寄り添ってみる
ことに意味があるのではないかなという気持ちで、勝手ながら関わらさせてもらっています。
こういう介助する側の意見もあるけど
このブログという場で、介助される側の貴重な意見を聞けたこと、
本当に勉強になります。ありがとうございます。
これからも発信し続けていってください!
影ながらではあるけど応援しつつ、自分にできることはしていきたいと思っています〜
TKYさん
本当に人対人、1体1の職場は大変ですよね。距離感がありすぎても駄目だし近すぎても問題になってくる…
私達自立した障がい者にとっての永遠のテーマです。